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 私は令和元年(2019年)の7月1日付で本講座の教授に着任しましたので、ちょうど3年を経過したところです。シンプルに早い、という感想です。本当にアッという間でした。

 “石の上にも三年”、“三年飛ばず鳴かず”、“桃栗三年柿八年”、等々、『3年』は一区切りの期間として広く認識されています。どの格言も、基本的には「あせらずに3年間はじっと我慢せよ」の意味です。“三年飛ばず鳴かず”は、「いつまでもうだつのあがらない」と誤って覚えられることが多いですが、実際には紀元前の中国、春秋戦国時代の楚の荘王が、王となってから三年間、何もせずに宴会に耽って遊び惚けたフリをして優れた人材を見極めていた、という故事に由来するものです(「鳴かず飛ばず」と表現することが多いですが、原文は『三年不蜚不鳴』なので、「飛ばず鳴かず」、とします)。つまり、組織を安定して確立するには、従来のシステムを大きく変えずに、とにかくあせらずに3年間はじっと我慢することが肝要、ということです。

 さて、この3年間は、そのとおりにじっと我慢してきたつもりです。というか、全国的な問題である外科医不足は沖縄でも例外ではなく、大学に求められる臨床・研究・教育のうち、絶対に必要な臨床と教育以外の部分になかなか手を回せない、という事情もありました。

 着任してすぐにマンパワー不足を実感しましたので、色々と新しいことに手をつけず、まずは現行のシステムをそのままで本当にやるべきことをしっかり行い、周囲の信用を得ることを第一に考えました。幸い、胸腔鏡下食道切除術、腹腔鏡下大腸全摘術などの先端治療は確立されていたので、私の専門である肝胆膵領域の高難度手術を安全に行う、ということを短期的な目標としました。しかし今思えば、就任当時の医局長である石野君が肝胆膵グループチーフを兼ねており、しかもスタッフが彼だけ、というギリギリの状況でかなり困難な症例の手術も行いました。しかも、いずれ始めるつもりでいた生体肝移植を必要とする症例が予想外に早く現れ、就任後8ヶ月の2020年3月、長崎大学の江口教授の支援のもとに無事成功させることができました。沖縄で大きな問題となっている肥満による健康障害に対して、上部消化管グループの中村君をリーダーとして代謝内科の協力のもとに減量・代謝改善手術も開始しました。

 教育については、学生や研修医は否応なくやってきますので、歯を喰いしばってでもやらねばなりません。これも幸い、医局スタッフは教育をさほど苦にしない教え好きな人間が集まっておりましたので、皆一所懸命がんばってくれています。私も、特に学生教育については外来・回診・最終評価を自身で行うようにしています。

 研究については当分無理、と半ばあきらめておりましたが、就任時すでに大学院生であった上里君が癌研有明での国内留学、さらに帰局してベッドフリーで医局の研究室で膵癌についてのリサーチを行い、私の体制での学位取得第一号となってくれました。研究費も当初はスッカラカンの状況でしたが、川俣君が若手研究のスタートアップや学内から提供の資金、さらに金城君が科研費を獲得、私自身も腸内細菌移植+肝移植のリサーチで科研を獲得できました。なかなか腰を据えてのリサーチは難しい状況ですが、臨床をやりながらでもできる研究を少しずつ始めているところです。

 さて、就任してから半年を過ぎて安定したところで、次のステップとして特に肝胆膵外科手術のパワーアップを図る必要がある、と感じ、令和2年度から長崎大学より大野慎一郎君を派遣いただきました。もともと膵移植のエキスパートであり、こちらでもすぐに準備を始めてくれて、2021年11月に膵移植施設に認定されました。前任地の長崎大学のように肝と胆膵のチームを分けるのはこちらでは無理なので、肝胆膵グループのチーフとして上里君とともに日々奮闘してくれています。生体肝移植は現在では小児3例を含めて19例に達し、沖縄での肝胆膵外科+肝移植の施設としては確立されつつあると感じています。小児肝移植の導入については、国立成育医療研究センター病院長の笠原群生先生にご支援いただいています。 

 こうして振り返ると、飛ばず鳴かずといいながらも色々やってきて、アッという間と感じるのも無理ないか、と思います。若い仲間も着実に増えてきておりますし、2年後に控えている移転に向けて、引き続き精進を続けてまいります。次は2年後の着任5周年で全体の成績をまとめる予定ですので、よい報告ができるように皆でがんばっていきましょう。

令和4年9月

高槻光寿

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